小松左京氏逝去についての新井素子さんのコメント(NHKニュース)

小松左京氏がお亡くなりになりました。一昨日のことだったそうです。80歳でした。本日午後から各メディアで報道がなされていますが、かなりショックを受けました。NHKニュースサイトの記事では、眉村卓氏、松本零士氏、東浩紀氏とともに、新井素子さんのコメントも掲載されています。

日本沈没」や「復活の日」などで知られる日本を代表するSF作家の小松左京さんが、26日、肺炎のため亡くなりました。80歳でした。
小松左京さんは大阪市出身で、京都大学に在学中に同人誌で作品を発表し、卒業後、経済誌の記者や漫才の台本作家などを経て、昭和37年に文芸誌「SFマガジン」に投稿した作品が掲載され、SF作家としてデビューしました。昭和38年の日本SF作家クラブの発足当時から参加し、「日本アパッチ族」や「エスパイ」、「果しなき流れの果に」などの話題作を次々に発表しました。中でも昭和48年に発表した「日本沈没」は、地殻変動で日本列島が海に沈むという壮大な物語を科学的な知見に基づいて克明に描き、その年に400万部を超えるベストセラーになって映画化されるなど、社会現象を起こしました。小松さんは、その後も、新型ウイルスの恐怖を扱った「復活の日」や、ブラックホールに立ち向かう人々を描いた「さよならジュピター」、それに日本SF大賞を受賞した「首都消失」など、人類や文明の未来を描きながら、科学技術の進歩に警鐘を鳴らす多くの話題作を手がけ、長年、日本のSF界をけん引してきました。また、昭和45年に大阪で開かれた日本万国博覧会のプロデュースに携わったほか、平成2年に開かれた国際花と緑の博覧会の総合プロデュースを務めるなど、広範な知識と行動力を生かし作家の枠を超えて幅広い分野で活躍しました。小松さんと半世紀にわたる交流があったSF作家の眉村卓さんは「初めて会ったときから、大きくてエネルギッシュな人だなという印象でした。宇宙や人間、そして文明というテーマを真正面から見据え、いわゆる小松流といわれる本格的なSFを書かれました。一貫してSF界のリーダーであり、よくやってくださった。お疲れ様でしたと声をかけたい」と話していました。小松さんと親交のあった漫画家の松本零士さんは、「小松さんの作品は、私も子どもの頃から読んでいて、憧れの作家でした。小松さんは、SFの世界をより親しみやすく、おもしろく書いた偉大な作家で、戦後の新しいSF小説の第一人者だったと思います。絵心もあり、表現力も非常に豊かでした。小松さんが亡くなったことは、SF界にとって非常にショックなことだと思いますし、私も寂しく残念でなりません」と話しています。小松左京さんがおよそ30年前に会長を務めた日本SF作家クラブで、現在、会長を務める新井素子さんは「小松さんの作品は、今から30年ほど前、小学生か中学生の頃に初めて読んで以来憧れの方でした。SF作家の中で、憧れていない人はいないと思います。今は衝撃が強すぎてことばになりません。心よりご冥福をお祈りするとともに、安らかにお休み下さいとことばをかけたいです」と話していました。小松左京さんに関する評論を手がけた作家で批評家の東浩紀さんは「小松さんは、戦後の日本が、廃虚から立ち上がろうとしていたときに、日本が科学技術の力で目指していた夢を体現した作家だった。代表作の『日本沈没』も決して後ろ向きな作品ではなく、政府や官僚の努力がいかに日本を救うかというもので、どんな苦難も乗り越えることができるという未来に向かって、非常に強い前向きなメッセージが込められたものだった」と話しています。

NHKニュース:SF作家の小松左京さん死去

小松左京氏は新井素子さんのデビューにも深く関わっていました。星新一小松左京筒井康隆の三氏が選考委員を務めた第1回奇想天外新人賞において、新井素子さんの応募作「あたしの中の……」を巡って三氏が激論を交わし、最終的に星新一氏の強力な推薦によって『奇想天外』誌に掲載されることが決まったのでした。もしもこの時、小松、筒井両氏が折れてくれなかったら、デビューが遅れたりデビューできなかったりした可能性もあるかも、と考えると新井素子ファンとしてはゾッとします。
偶然にも、『ダ・ヴィンチ』で連載中の「新井素子藤田直哉のSUPPLEMENT FICTION」では、氏の『継ぐのは誰か?』を紹介していましたね。『継ぐのは誰か?』は「新井素子が選ぶ「日本SF」10冊」の内の1冊でもあります。*1
ご冥福をお祈りします。合掌。