新井素子さんの名前が出てくるとの情報を得て読んでみました。少年チャンピオンコミックス版など他の単行本が確認できていないのでとりあえずブログの方に書いてみます。
『手塚治虫・傑作選集』では6・7・8・11・12巻に『七色いんこ』が収録されています。
書誌情報
第8話「三文オペラ」(P.179-199)
初出は『週刊少年チャンピオン』1981年11月13日号。七色いんこが、不良学生の親玉(この話の主人公)から恋人が出演する文化祭の芝居の手伝いを依頼される、という話。
恋人の母親の名前が石河ジュン(顔が漫画家のいしかわじゅんとそっくりでひげも生えている)で、高校の校長の顔が漫画家の吾妻ひでおの自画像にそっくり、喫茶店では手塚治虫と思しき人が編集者と打ち合わせ中(?)、石河ジュンが「小山田いくのマンガみたい!!」という台詞を発するなど、当時の漫画界に関連するネタがたくさん登場します。ちなみに恋人の名前「知佳」は吾妻ひでおの娘さんから取ったのではないかと推測されます。
P.189には主人公の「まえーにアズサとか素子とかにキスしてやったことがあるんだ」という台詞がありました。アズサは評論家・作家の中島梓(栗本薫)*1、素子は新井素子さんから取ったと思われます。
この漫画が発表された1981年は、8月に第20回日本SF大会「DAICON3」が開催され、その中で手塚治虫・吾妻ひでお・いしかわじゅんが揃って登場した「SFまんがを語る部屋」という企画も開催されました。高信太郎が吾妻・いしかわを「ビッグ・マイナー」・「リトル・メジャー」と表現したり、吾妻マンガにいしかわじゅんを模したキャラクターがよく登場したりしていました。
またDAICON3では新井素子さんの講演会が行われたり、星雲賞日本短編部門を「グリーン・レクイエム」が受賞したりといったこともありました。新井素子さんの人気に火がつき始めた時期です。
そして中島梓はテレビ番組「クイズ ヒントでピント」に出演中でお茶の間に顔が広く知られるようになっていました。
いしかわじゅん似の母親と吾妻ひでお似の校長が最後には結婚してしまうというストーリーも、作中に散りばめられた小ネタも、当時のそういった風潮の反映だと思います。